●なつかしい山形・南陽市、宮内をあるく....
森の湯での朝食後は、はらごなしもかねて、
宮内方面にドライブ&お散歩へ
その当時住んでいた千葉の家から、車で7時間以上かけて
帰省していました。母が後部座席にお布団を敷き詰めてくれた
にわか寝台カーに乗っての長旅は楽しいものでした
宮内駅
駅舎はほとんどかわりがありません
キンチョールの看板が雰囲気醸し出しています
ほんっとにかわらないなぁ~
どうやら、駅にうさぎがいるようです、
残念ながら朝早くて会えなかったけど....
でも、こんな素朴なポスターが貼ってあるだけで、
駅の光景に癒されます
駅員さんが切符を切った柵、え?まさか今も?!
少し寂しげな、ホーム。
訪れたのは朝8時頃、いつ頃駅員や乗客がくるんだろう?
この線路でもよく遊んだなーー。あぶないね(笑)
ここはかつて父の実家のすぐそば、
織機川(おりはたがわ)という川のほとりに父の家はありました
↓の写真は、コンクリートで覆われた防火水そうです
この防火水そうは私にとっては一生忘れらない場所
小学生の頃、そぼ降る雪の中、幼稚園生の弟と遊んでおりまして
この防火水そう、当時はむき出しの状態で氷がはっていたのですが、
そのはった氷を見て、弟が「わーい、スケート!!」といって踏み込んだのです
あっという間の出来事、
水そうの中ほどまで進んだ弟の足元の氷が割れ...
弟が深い防火水そうに落ちたのです
氷にひびが入り、われて、弟が両手を上げて、水に沈んでいく一瞬の光景。
その一瞬が今でも脳裏に焼きついています
おお慌てて家にもどり、大人を呼びました
どうやって弟を助けたのだろう?覚えてません
弟は今でも生きています
(焼き肉焼いてます)
そして、防火水そうはコンクリートで覆われました
ほんとに怖かった....父やおじさんを呼んで、
血相かかえた大人たちと防火水そうに戻るとき...
もしも、弟が沈んでいたら、
もう何も見えなくなっていたら
どうしようと、怖くて怖くてたまりませんでした
祖母に手を引かれて、買い物に来た商店も今はやっておりません
ラッキースタンプ会員ってなんでしょう?
このお店には、おばあちゃんと大好物を買いに来ていたんです
おしどりのミルクケーキいまや、PCつければ楽天で買える時代ですが
当時、山形に行くと味わえる、ミルクいっぱいのこの素朴なお菓子が
どれほどにおいしかったことか....
きっと楽天で買っていたら、あれほどおいしくは感じなかったでしょう
豊かさってなんだろうね?
さらに歩くと、茅葺の家が見えてきます
今は貴重な茅葺屋根の家、このあたりでは今もちらほら
茅葺屋根の家は、すべてが大きな敷地に立つ大きな家です
この辺は、繊維業で栄えた町、大きなお家は繊維長者なのです
この町を流れる川、実家のあった川は織幡川という、と書きました
織機川 (おりはたがわ)
美しい名前の川です。
8月、豪雨で氾濫したことがニュースで流れたのが記憶に新しい
もし父の実家があったら被害にあっただろうなーー
他のみなさんの被害も最少でありますように
織機川の名前の由来は、推測するに繊維業が栄えた町だから
と、思えますが、実はもっと古い伝説があるのです
この町は 「つるのおんがえし」発祥の地と
いわれてます
鶴布山珍蔵寺 (がくふざんちんぞうじ)
この古いお寺に、鶴がおんがえしで、自分の羽を抜いて折った織物があり
寺の宝物にしているとか....
本堂は山の上にあり、急な階段をのぼっていくと!
父と石碑...は、スルーして
寺門があり、抜けた左側の
この蔵にその織物が大切に保管されているとか....
「ほんとかわからんよ...」 と父...(笑)
でも実際に織機川をはじめ、鶴巻田、羽付、などの鶴の恩返しにちなむ
古く からの地名が数多く残されているのですから、
ここは「つるのおんがえし」の里なのでしょう
このお寺は法事の度に訪れていたので、やはりなつかしい...
さてさて、なつかしさいっぱいの町を歩き、時刻はそろそろ9時になります
南陽の中心部にもどらなければ....
そう、この旅の私的メインイベントのために...